泉州の刃物とお茶と歴史。阪南市のミノバ石切場(桃の木台7丁目付近)からの和泉砂岩のお話。

第9回センミラ会議(泉州のミライをつくるみんなの会議)in堺でした。

今回は堺伝統産業会館から水野鍛錬所、チンチン電車に載って南宗寺にある天慶院へ、というまち歩きでした。

天慶院では泉州の歴史として森村先生にお話を聞きました。そのお話の中で阪南市ミノバ石切場の話がありました。このブログでも何度か出てきていますが、昔、桃の木台7丁目の山側の付近に石切場がありまして「ミノバ石切場」と呼ばれていました。和泉砂岩を扱う石工集団は全国的に有名で泉州石工と呼ばれます。「箱作」の地名由来も石棺を作っていたからという説(京都の下鴨神社から流した御霊箱が箱作に漂着し箱着里(はこつくり)となった説もあります)もありますね。

南宗寺内の飛び石にも和泉砂岩がありまして、上の写真、一番手前の丸いやつと、手前から4つ目、6つ目、合計3つが和泉砂岩です。

他にも泉州の誇るべき歴史の話、伝統の話がたくさん聞けました。そして堺の美味しいつぼ市さんのお抹茶も頂きました。

今回のセンミラ会議でもたくさんの貴重なご縁をいただきました。ありがとうございました。

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