昭和58年3月25日に上巻が阪南町役場によって発行されました、
「阪南町史」
阪南市のたくさんの歴史が詰まっています。
いくつか紹介してみます。
明治以降、
当時の東鳥取村では
水害が多発しておりました。
氾濫していたのは
鳥取川、山中川、菟砥川、金熊寺川などですが、
いずれも治水的な問題で、
治水事業が整った近年は水害はありません。
水害関連でもう一つ、
忘れてはいけないのは
1952年(昭和27年)7月11日、
鳥取池(現在の鳥取ダム)が決壊しました。
行方不明者51名、行方不明牛15頭、
流出家屋35戸という阪南市史上、
とても大きな水害です。
その水位は池のすぐ下で10m、
1.5キロ下流で5m、
桑畑地区で3mもの高さに達しました。
現在、鳥取ダムに行くと大きな慰霊碑が立っています。
当時、この水害を受けて反省文が出されています。
・今回の災害は人力では防ぎえなかった。
・今回の災害による犠牲者が意外に多かった。
・井堰(いせき)構築についての仕方、鉄筋コンクリートの橋は将来橋げた(橋脚の間違い?)のない吊り橋的なものにしたい。
・各地から寄せられた金品の同情は大変うれしかった。
・災害があまり大きい場合、一刻も早く適切な方法で、まず衣食住を按ずる。
・学生の救援隊と称するものの行動には村民も大いに迷惑した。教育者の反省を促す。
以上、当時の歴史的背景もうかがえるものです。
あと
長くなって申し訳ありませんが、
もう一つ、
下巻の方に載っている記事で
阪南市の自然地理を説明しているところがありますので、
抜粋させてもらいます。
阪南町(阪南市)は瀬戸内海の東端、大阪湾に臨み、
和泉山脈の北斜面に位置するため、
気候は瀬戸内式気候に属し、
温暖で比較的雨量が少なく、
わが国でも晴天の多いところ。
また山を負い海に臨む本町(本市)の地形環境によって、
大気のめぐりも良く、
空気が清らかで
風光明媚な生活環境である。
以上です。
我々の誇りである阪南市、
大切にしていきたいと思います。
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