なかなか鋭いご指摘です、お答えします。

現在お配りしている最中の「さかそう通信18号」ですが、先日もお伝えいたしましたが、17号にお詫びがあり”急ぎ”ですので、このホームページにも既にアップさせていただいております。

今回は「阪南市マニア向け歴史大集合!」として阪南市の長ーい歴史の中で何点かピックアップさせていただいています。内容としては割と読みやすいので、たくさんのお電話やお声かけを頂き、好評です。ありがとうございます。

そんな中、差出人は不明ですが、2点のご質問、ご指摘をいただきましたのでご説明いさせていただきたいと思います。

ちょっとマニアックな内容なので、阪南市外の方には「なんのこっちゃ」な内容になります。ご容赦ください。

Q.「明治8年に箱作小学校・波有手小学校が出来たのを皮切りに・・・」の部分、「箱作小学校」は「下荘小学校」ではないですか?

A.「箱作小学校」で合っております。現在の「下荘小学校」は昭和22年に「下荘小学校」に改称されたもので、それまでは、こんな流れです。

明治6年「箱作小学校」として創立、明治8年に校舎が落成。(阪南町史には明治8年、箱作小学校が出来ると明記)

明治20年「觀瀾(かんらん)尋常小学校」に改名

明治22年、下荘村と称す

昭和22年「下荘小学校」と改名

昭和57年「箱作小学校」分離

昭和59年、給食開始

よって、「下荘小学校」は、もともとは「箱作小学校」でした。ただし、平成28年度の整理統合では2校は一緒になって「下荘小学校」となることが決定しております。明治22年の町村制が施行された際の東鳥取村、尾崎村、西鳥取村、下荘村の4つの村の名前を尊重しよう、ということだそうです。

それにしても觀瀾(観瀾)っていう名前「波を観る」ですか、現在は残ってませんが素敵な名前ですね。

Q.「現在の貝掛中の交差点のコスモ石油さん辺りに「舞村」がありました」の部分、ここではなく、もっとバイパスを上がって行った舞小学校の近くではないでしょうか?

A.すごく鋭い指摘をありがとうございます。「舞村」エリアは、天保8年の古地図を頼りに記しました。

IMG_6563

ちょっと見にくいですが、赤い線は今の旧街道(国道より1本山側)で、真ん中の川は釈迦坊川、左は花折川ですので現在の新道(コスモ石油さんからバイパスへ向かう道)はこの間をタテに走っていることになります。

もう一つ資料を見てもらいます。

IMG_6562

その新道の工事の時の遺跡調査の航空写真です。写真の手前の方に遺跡調査の部分堀りしているのが分かります。このあたりからたくさんの食器などが発掘されました。村があった証拠だと思います。よって、結論として「舞村」はコスモ石油さんより少し山側の十字路あたりから釈迦坊川に向けて、ということが出来ます。

ただし、古地図をじっくり見てもらうと分かりますように、右上の方湯谷池(今の貝掛新池でしょうか?)あたりに「舞村妙見堂」とありますので、上の方(山側)にも舞村の範囲があったと想像され、ご指摘の「舞小学校の近く」というのも間違いではないかも知れません。ただ村の中心地は上記の場所でございました。

 

以上です。なかなか鋭いご指摘で、お陰様でたくさんの資料を直接見れる良い機会になりました。また今後とも「?」と感じたことはジャンジャン気軽にお問い合わせください。皆様と一緒に学んでまいりたいと思います。ありがとうございました。

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