養鱗殖介・・・阪南市、尾崎の歴史シリーズです。松井水産翁について。

先日尾崎の旧尾崎住民センターの解体工事のことを書きましたが、その写真を撮りに行ってるとき、ふと大きな石碑が目に留まりました。

これですね。「養鱗殖介 犬養毅書」と書いてあります。上の四角の中には右から読みますが「頒徳(しょうとく)松井水産翁」と書いてあります。石碑の裏には「昭和4年(1929)8月30日建焉 尾崎漁業組合」と書いてあります。

せっかくの機会なので少し調べてみました。

まず言わずと知れた「犬養毅」さん。第29代内閣総理大臣です。ただし総理大臣になっていたのは昭和6年(1931)12月13日~昭和7年(1932)5月16日なので、この石碑は総理大臣になる前に書かれたもの、ということになります。時期的には逓信(郵政)大臣をやられて、普通選挙法を成立させてから議員を辞めた後に再び議員になられる辺りの時期になります。詳しくはウィキペディアでどうぞ。

さぁそして「松井水産翁」です。この方、「松井謹輔(きんすけ)」さんとおっしゃって尾崎村の初代村長です。生まれたのは安政6年(1859)5月6日、尾崎村出身です。この方、すごいんです。

経歴

安政6年(1859)5月6日 尾崎村に出生

明治12年(1879) 尾崎村総代・・・20歳で総代です。

明治19年(1886) 公選戸長3年2か月 官選戸長1年9か月

明治22年(1889)~27年(1894) 尾崎村初代村長・・・30歳で初代村長です。

明治36年(1903)~昭和2年(1927) 尾崎漁業組合長、理事など

明治39年(1906)~明治43年(1910) 尾崎村村長・・・47歳で再び村長。

このほかにも和泉水産組合の理事や泉南郡水産会の副会長など大阪府下の水産会の発展に多大なる貢献をされました。人工漁礁の設置などにもご尽力いただいたようです。昭和2年(1927)8月30日各界に惜しまれる中ご逝去されましたが、その後の昭和4年(1929)泉南郡水産会主催の水産功労者表彰式にて表彰をうけておられます。式には岸和田市長や松田竹千代代議士(阪南市箱作出身、松田竹千代代議士の初当選が昭和3年なので議員なりたての頃ですね)も来賓として出席されていたようです。その表彰に合わせて、この石碑が建立されたものと考えられるそうです。

松井水産翁、20歳で村の総代、30歳で初代村長とはすごいです。どんな方かお会いしたかったですね。先日のブログの年表と合わせて見てみると、若い勢いのある村長を中心にまちが発展し、水産業が興隆し、尾崎村まで南海電鉄が延伸してきて、銭高組さんによって新しいモダンな庁舎が建築される、、、という100年前の阪南市が思い浮かびます。なんだかワクワクしますね。

石碑の中でもう一つ「養鱗殖介」という言葉。これだけが調べても分かりませんでした。おそらく魚介類を育てるという意味でしょうが四文字熟語としての由来やなぜこの4文字なのかなどは分かりませんでした。またいつか分かりましたらお伝えします。ご存じの方いらっしゃったら教えてください。

市に古い写真が残ってましたのでアップしておきます。

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