阪南市の古い地図を眺めながら。。。

たくさんの資料を整理していると、ふと明治時代の阪南市の地図。明治43年とあります。

南海電車は通っています。JRは昭和5年開通なのでありません。

もちろん旧26号線もなく、メインは孝子越街道だったんでしょうか、一番太い道で書かれています。

この当時は男里川という名前ではなく菟砥川という名前だったんでしょうか。男里川という名前が見当たりません。市役所の場所には大きな皿田池も見えます。

道筋、出島、日野屋新田、というような知らない地名も見られます。

こうして見ると、阪南市の長い歴史の中に今があり、これを夢と誇りをもって子ども達にバトンタッチしていかなければならない責任を重く受け止めて日々活動していかなければならないと痛切に感じるわけであります。。。頑張ります。

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