阪南町史を見てみますと、
歴史好きにはたまらない記録がありましたので、
紹介したいと思います。
1577年、織田信長は石山本願寺(今の大阪城)を倒すために、まず雑賀(さいか)衆を抑えようと和泉・河内に出兵します。
1577年2月13日 信長出兵
2月16日 貝塚着
2月18日 泉佐野着 ここから山手と浜手の二陣に分かれる。
山手メンバー:佐久間信盛、豊臣秀吉、荒木村重、別所小三郎など
浜手メンバー:滝川一益、明智光秀、丹羽長秀、細川藤孝など
山手メンバーは先に紀の川渡口まで到着。
浜手メンバーは淡輪から先にちょっと手こずる。
2月28日 信長が淡輪に到着
3月2日 信長は少し戻って阪南市の波太神社で陣を張る。
こんな感じで載っています。
最終的には雑賀衆を抑えたらしい(※)のですが、
その辺りの詳しい記述はありません。
なんか、
身近に歴史上の人物が感じられて
ワクワクしますね。
※追記:雑賀衆はなかなか手ごわかったらしく、
一説によると信長軍はこの
紀州攻めを失敗したとの説もあります。